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『挑戦を恐れるな!』 カンボジアプロサッカー選手 太田敬人 今回は、ARIGATO UNITED フットサルクラブで代表兼選手をしている太田敬人氏にインタビューをさせて頂きました。 簡単な経歴を教えてもらってもいいですか。 小さい頃からプロサッカー選手になることが夢で、2010年にタイでプロサッカー選手になることができて、縁があってカンボジアリーグでプレーすることになり、2011年から 2019年までカンボジアでプレーしました。その後台湾でプレーし、2020年からラオスのクラブでプレーする予定で契約していたんですが、コロナで行けなくなってしまって、何もできない状況でも何かできないかと思って、カンボジアでフットサルクラブを設立しました。それが今、僕が代表兼選手をしているARIGATO UNITEDです。 ではなぜ、そもそもカンボジアに来られたのですか。 タイでプロになった時は3部リーグだったんですけど、もちろんプロになれて凄く嬉しかったんですけど、選手としての認知度や評価に満足できなくて、どうしたらサッカー選手として価値を高められるかを常に考えていました。その結果、「まだ日本人選手がプレーしていない国でプレーして活躍すれば、目立つ。」という考え方になりました。それでカンボジアに来て、初年度で優勝できて、プロサッカー選手としての実感が湧いてきたのはこの時からでした。カンボジアは僕をプロサッカー選手として認めてくれた場所。この国にフットボールで恩返しもできたらなと思い、現在もこの国で活動を続けています。 では、小さい頃はどんなお子さんだったんでしょうか。 保育園の卒園アルバムの将来の夢の欄に警察官かサッカー選手になるって書いてたみたいです。当時、保育園のグラウンドで友人とサッカーをするのが好きで、楽しくてどんどんサッカーにハマっていきました。小学校、中学校もサッカー部に入って、県選抜にも入っていました。高校も強豪校に入学できたのですが、チームは全国大会に出場するものの、 自分はレギュラーになれず、このままではプロになれないと焦りを感じました。高校卒業 後は2年制のサッカーの専門学校に行くことにしました。プロとの練習試合ができる環境 だったので、自分がプロになるためには何が必要か常に考えていました。能力ではそこま で差がないのにどうして彼らはプロで自分はプロじゃないのだろうと。突出して上手いわけではなかったことと、アピールできる環境じゃなかったことが原因だと思っています。 その際に、日本人選手が少ない(希少価値がある)海外リーグであればプロになれる可能性 が上がるんじゃないかと考えました。その為に、まずは海外に行くための資金を貯めるために、三重県のアマチュアチームでプレーしながら仕事をして貯金しました。 …

『学びを通して子どものワクワクを引き出したい』渡邉氏(ワンダーラボ株式会社) 現在、ワンダーラボ株式会社でカンボジア事業「Think! Think! (シンクシンク)」の代表を務める渡邉氏に、現在のカンボジア事業についてお話を伺いました!! 「世界中の子どもからワクワクを引き出す」という理念をもとに、最先端のオンライン教材を利用して、カンボジアの教育事業の変革に取り組んでいます。今の時代だからこそできるようになったオンライン教育で、政府や教育省と連携して様々な事業にも取り組んでいます。 なぜカンボジアでの仕事をお選びになったのでしょうか? 大学中にバックパックにはまって、世界中を旅していました。また、私の肌は、日本の気候と相性が悪くなぜか荒れていたのですが、暖かい所に行くと治るというのを聞いて、実際に東南アジアに行ったところ、とても調子が良くなったんですよね。これは最高だなと思い、大学時代、夏は人力車のアルバイトでお金を稼ぎ、冬になったら暖かいアジアへ行くという生活をしていました。そこからだんだんと移動するのが面倒くさくなり、それならばアジアに移住してしまおうと思ったんです。初めはフィリピンでエコツーリズムの立ち上げに携わったのですが、あまりうまくいきませんでした。その際にカンボジアでもエコツーリズムの仕事があると聞き、カンボジアに乗り込んでいきました。 東南アジアのすべての国を見た中で、なぜその2か国を選んだのでしょうか? 東南アジアの中で住みたいと思ったのが、手つかずの自然があるフィリピンかカンボジアの田舎だったんですよね。元々大きな都市はあまり好きではなくて。正直、縁があったからだと思います。タイでもローカル地域に踏みこみましたが、あまりそこの人たちと仲良くなれる機会がありませんでした。 しかし、カンボジアとフィリピンでは、ローカルな住民と仲良くなり、その人達に会うのもバックパッカー時代の1つの楽しみでした。あとは、バンコクだと水が合わなかったのか自分の肌の調子が良くなくて。カンボジアとフィリピンの水や食べ物は自分の肌に合い、心地よいと感じたので、この2か国を選びました。 なぜエコツーリズムをやろうと思ったのですか? 元々陸上やキャンプのお兄さんなどをやっており、自然の中で体を動かすということがとても好きでした。そのため、これでメシを食っていきたいという思いが強くありました。そこで、東南アジアの自然を舞台に何かできればと思い、エコツーリズムを選びました。 ワンダーラボに入社されるまでの経緯を教えてください。 私は、元々カンボジアの高原都市みたいなところでエコツーリズムの開発と共に大学でITや日本語を教えていました。そこに、現在の会社の社長が来て、社長と話すうちに仲良くなり、プライベートでもカンボジアの子供たちに教えに行きました。その中で、意気投合して一緒に働いてみたいと思い現在の会社に入社しました。 ワンダーラボの一番の強みは何ですか? 私たちの一番の強みは、一見、遊びのようだけど、実は勉強の教材であって、遊び感覚で子どもの思考力や学ぶ意欲が育まれる点です。子どもが学びの楽しさを感じる「ワクワク」を引き出すことを意識しています。 どのようなサービスを提供されていますか? 好きな事に没頭することで、学ぶことの楽しさを自然と身に着けることができるような教材やサービスの提供を心がけています。 具体的に2つご紹介すると、 1つ目は、JICAとカンボジア政府と提携して、弊社のアプリケーションを公立学校に導入してもらっています。このアプリはWindows, …

『カンボジア人の自立に貢献したい!』松倉氏(YAKUSHINKAI (CAMBODIA) CO.,LTD.) 今回は、カンボジア人自らが頑張りたいと思った時にサポートできるような環境を作りたいと、技能実習生送出機関を設立した松倉氏にお話を伺いました。松倉氏は、立ち上げて3年という中で、カンボジア人に最適なサポートができるように、日々試行錯誤を重ねながら取り組まれています。ぜひ最後までご覧ください! カンボジアでのお仕事の内容について教えてください。 2016年に設立し、2017年から日本に行きたいカンボジア人の技能実習生送出機関として、人材育成の学校を運営しています。常時60~90名の生徒がおり、全寮制で日本語を中心とした教育を行っています。弊社の中では、男性は建設業、女性は食品製造関係の送出実績が多くなっています。 私自身は学校長として学生の指導から運営まで携わっています。教育内容は、カンボジア人が働くのはカンボジアではなく日本なので、日本語はもちろんのこと規律や時間を守ることや、挨拶・返事など日本に合わせた教育をしています。元々NGOで教育支援をしており、その時はカンボジア人に合わせた教育支援を心がけていましたが、やっぱり日本で働くということを考えた時に、日本企業のニーズに合わせた、考え方や習慣などが必要であると思い、そこを意識して生徒に教えています。一方で日本企業側には、日本の習慣や文化を押し付け過ぎずに、外国人に合わせた管理体制の構築をお願いしています。 実習生の派遣までの流れをお伺いしてもよろしいですか? まず入学試験を受けて合格したら日本語教育をスタートします。その間に日系企業の採用募集があれば応募してもらい、採用決定後、4か月から6か月勉強し、日本へ行きます。生徒によっては、入学後すぐ合格し半年で行ける子もいれば、何社も落ちると1年程度かかる子もいます。それ以上になると、元々この学校に来る生徒は貧困層の出身者が多く、入校後はアルバイトもできないため、1年以上残る子はあまりいません。1年間無収入でも大丈夫な家庭の子が来ますので、本当に貧しい子が通うことは難しく、そこが課題でもあります。 今はコロナの影響もあり、出発が遅れてしまって1年以上勉強している生徒が増えてきていますが、平均で言えば6か月から10か月くらいで派遣される生徒が多いです。 費用に関しては、学生たちの負担を減らすため、出発直前までお金をもらわず、寮費や光熱費、食費なども無償提供しています。 途中で辞めてしまったりする方はいるのでしょうか。 弊社は厳しい学校なので、毎月20人入っても、ひどい時は2人しか残らない時もありました。クラスの雰囲気などにも左右されるので全く辞めない時もありますし、半分以上辞めてしまう時もあります。全寮制で家族と離れて生活することや、1日8時間勉強したことがない生徒にとっては体力的、精神的に辛くなって辞めてしまう事もあります。 また、弊社では入学してからしか採用試験を受けさせていません。他の学校では採用試験に合格した子だけを入学させるところもありますが、それだとミスマッチが起こりやすくなってしまうので、事前に勉強して、規則厳守なども経験してから採用試験を受けさせることでミスマッチを減らすことができると考えています。 YAKUSHINKAI (CAMBODIA) CO., LTD.立ち上げまでの経緯を教えて下さい。 高校生の頃、日本一乗車率の高い電車に乗って通学していたのですが、その時に周りの大人を見てあまり楽しそうではないなと感じ、単純に日本以外の国で働きたいなと思い海外を目指しました。今考えてみれば、その人たちは、家族のために歯を食いしばってめちゃくちゃ頑張っていた人たちなのですが、当時はまだ若くそのような考えには至りませんでしたね。 それで、大学生の頃にタイでインターンをして、教育系の学部だったこともあり教育関係の仕事に就きたいと思い、タイに駐在できる会社を対象に就活をしたのですが、うまくいかず、結局日本で働くことになりました。しかし、諦めきれず、1年で辞めて、「1度、社会のレールから外れたなら、就職活動は後でもいいか」と考え、社会人1年で貯めたお金でバックパックを担いで旅をしました。そして、旅の途中でカンボジアのフリースクールで日本語を教えてくれないかという話があったので、ビザが切れるまでの1か月間教えることにしました。しかし、気づいたら7か月以上経過しており、お金も尽きてしまったので、一旦日本に帰り、コンビニでアルバイトをしてお金を貯めて戻ってきました。 …

「自分と関わる人たちを幸せにしたい」という思いで起業したカンボジア活躍人、清野氏 今回は、広告代理店「UG Marketing Republic」で活躍される清野氏にインタビューをさせて頂きました。 貴社の事業内容について教えてください。 2014年に立ち上げた会社を譲渡し、カンボジア以外での展開も視野にいれて新しく設立した広告・マーケティングの会社です。内容は、元の会社での経験を生かして、販売促進、インフルエンサー・マーケティング、イベント、デザイン、印刷・制作物、IT関連、レンタカーなどを行っています。「情報 ✕ ノウハウ ✕ スピードで、顧客の“やりたい”をカタチにし、成果につなげる。」という理念で、私のもっているものを全てクライアント様に提供していきたいと思います。 清野氏のカンボジア移住までの経緯を教えてください。 大学卒業後、新卒で「株式会社ぱど」に入社し、16年間勤めました。主にフリーペーパーなどを発行している会社で、当時はニッチなメディアということに興味を惹かれたのと、勢いのある社風にも魅力を感じ入社しました。広告営業がメインで、イベントや制作物など一通り広告関連の仕事を経験しました。 「株式会社ぱど」を退職後、2013年4月にカンボジアへ移住。 1ヶ月くらいいろいろとビジネスの種を探し回っていたのですが、日本から持って行った調味料とローカル市場で買った食材で料理を作ってみたら、意外とカンボジア人の受けが良く、まずはデリバリーのお弁当屋としてスタートしてみることにしました。仕事をはじめてみると、お客様や知り合った人たちから、チラシ制作や雑誌つくり、ウェブ関連やイベントなどの仕事をいただくようになりました。 お弁当よりも今までやってきた広告の仕事の方が世の中のお役に立てると実感しました。「クーポンキング」という自社メディアを作ったのをきっかけにお弁当屋を廃業し、広告代理店として2014年2月に法人登記をしました。 なぜ、カンボジアという国を選び、進出しようと決めたのですか? 大親友の他界や離婚、そして東日本大震災などを経験し、「自分が本当にやりたいことをやらないと後悔する」と心の底から思いました。やりたいことの一つが海外に移住して自分のビジネスを立ち上げることでした。 もともと旅することがとても好きで、大学の頃にバックパッカーをしたり、社会人になっても海外旅行を続けていました。いろんな国を旅した中で、住むのであれば、人の良さと、ゆったりとした空気が流れているカンボジアとラオスがいいと思いました。そして、ビジネスをするのであれば、その中で一番大きな街である、カンボジアの首都プノンペンにいたほうがいいと思い、決めました。 米ドルが流通しているとか、外資100%で会社を作ることができるとか、カンボジアが起業に向いているなと思ったのは、その後に知りました。 貴社で大切にしていることを教えてください。 大切にしていることは2つあります。 …

『サッカーを通して夢や希望を持つ大切さを伝えたい!』和田氏 (Soltilo Familia Soccer School Cambodia) 今回は、サッカー選手としてフィリピンやカンボジアでプレーをして、引退後もサッカースクールのマネージャー兼コーチとして活躍している和田氏にお話を伺いました。選手引退後もサッカーを通してカンボジアに恩返しをしたいと熱い思いを持って取り組まれています。ぜひ最後までご覧ください! 貴社の業務内容について教えてください。 私は、Soltilo Familia Soccer School Cambodiaでマネージャー兼コーチとして働いており、ファミリアサッカースクールとドリームスクールで子供達にサッカーを教えています。ファミリアサッカースクールでは、日系企業の駐在員の子供達やインターナショナルスクールに通っている生徒など、計10か国以上の子供達に指導しています。 ドリームサッカースクールは、ローカルに住むカンボジア人が通っています。マネージャーとしては、経営関連だけではなく、カンボジア人スタッフのマネジメントやインターン生の管理、教育をしており、練習のスケジュールやコーチ陣の配置などをメンバーと共に話し合って決めています。 コーチとしては、子供たちにサッカーを指導しており、レッスンは基本的に英語(ドリームスクールではクメール語)で行いますが、場合によっては3か国語使用して行う時もあります カンボジアまでの経緯、現在の職に至るまでの経緯を教えてください。 元々小学校から大学までサッカーをしていていましたが、サッカー選手になりたいというよりは海外で働きたいと思っていました。そして海外でサッカーしている大学の先輩がいて、プロ選手なのに英語を流暢に話すことができ、海外で強く生きているところにとても憧れを感じました。 自分はどうやって海外で活躍できるかと考えた際にサッカーをやろうと思い、大学の監督のおかげもあり、フィリピンでサッカー選手として10か月間プレーをしました。この時は、海外でサッカーをして生きていくことに不安もありましたが、「やってやるぞ!」という気持ちの方が強かったです。 その後一度日本に帰国しましたが、サッカーをやりたいという気持ちが強く、2017年の1月にウェスタンプノンペンというサッカーチームでプレーをするためにカンボジアに来ました。1シーズンプレーした後、アンコールソルティーロFCというプロサッカーチームからお声がけを頂いて中国遠征や練習に参加しましたが、ご縁が無く、日本に帰国しました。これを機に、サッカー選手を引退しました。 日本に帰国後は、ホテルの運営とプロサッカーチームのスタッフとして2年間仕事をしていました。そして今年の2月に現在のスクールの代表から誘いがあり、10日後くらいにカンボジアに再び来ました。声をかけてもらった時は、お世話になったカンボジアに何か恩返ししたい、また、自分しかできないことがあるのではないかと思い決意しました。 …

「カンボジアの人々の健康と栄養改善を目指して!」福原氏(NOM POPOK ノムポポー) 今回、カンボジアで子供の栄養改善を目指し、健康的なお菓子を展開している福原さんにインタビューさせて頂きました。 貴社の業務内容について教えてください。 カンボジアの子どもの栄養改善を目指した事業をしています。主に学校や病院に栄養価の高い食材で作った健康的なお菓子を販売したり、訪問先の学校の子どもたちに、栄養改善のための授業などを行なったりしています。 お菓子と栄養教育でカンボジアの健康習慣を促進 なぜ栄養教育に着目したのですか? カンボジア国内には、慢性的な栄養不足の子供達が33%もいるというのが現状で、日本の家庭科のような食について学ぶ機会がありません。また、カンボジアの学校には、給食がないんです。 学校は2部制、3部制で午前中だけ勉強する人、もしくは、午後だけ学校に通う人に分かれていて、基本的には、家で食事をする形になっています。 そして多くの人は、食事を「お腹を満たすだけのもの」と捉えてます。(例えば、毎日お米としょっぱい魚のみで栄養バランスを無視した食事など。)このような状況下で、人々の食に対する健康意識、栄養バランスに課題を感じたのがきっかけでした。 カンボジアで現在の職に至るまでの経緯について教えてください。 両親はカンボジア人ですが私は日本で育ったので、2011年当時、27歳までカンボジアに来る機会は一度もありませんでした。しかし、会社が倒産したのをきっかけにカンボジアに来ました。非営利団体でインターンを経験し、その後、民間企業で働きました。こうした取り組みを始めたのは、カンボジア国内には、慢性的な栄養不足の子供達が33%いる事を知り、給食や家庭科の授業というのがなく、食について学ぶ機会がないというのを目の当たりにしました。そして、このような社会問題の解決を目指すビジネスをしたいと考えて始めたのが『ノムポポー』です。 なぜお菓子を商品化しようと思ったのですか? 休み時間になると子供達は校内の駄菓子屋さん(売店)でお菓子を買うのですが、そのお菓子をより健康的で栄養のあるものにできたら健康改善や栄養教育にも良いのではないかと思ったのがきっかけでお菓子作りを始めました。 苦難に直面した際、乗り越えるためにどういった考え方をしていますか? 事業を進めていく中で判断しにくいことや、不安になることがあります。そういう時は『先ずはやってみよう』の精神で0.1ミリでも前に進めるようにしています。時には、想定をしていないような苦難にぶち当たる事も多くあります。しかし、行動した結果で問題が起きなら、その時に考えればいいと思えるようになり、どんな事があっても少しでも前進できるようにと考えています。 現在の会社で今まで一番嬉しかったこと、やりがいを感じることについて教えてください。 若者達の力を感じられた時です。最初の1年は、自分一人で学校での栄養の講義などを行なっていました。なぜならカンボジア人はシャイな人が多く、人前で話す事は無理だと思っていた時期があったからです。ですが、実際にカンボジアで多くの人、従業員に会った事でそれは固定概念だとわかりました。多くの若いスタッフ達は栄養について、新しく学ぶ事に対する意欲も高く、人前でも堂々としている姿を見ていると頼もしくもあり、嬉しい気持ちになります。こういった人達がカンボジアに増えていったら未来は明るくなるなと期待しています。 福原さんが大切にしていることを教えてください。 会社を始める前も現在も、応援して下さる人達のおかげで会社が成り立っているので常に感謝の気持ちを忘れないようにしています。なかなか上手くいかなくてイラッとしてしまう時も度々あります。しかし、上手くいかなくても常に人との関係があってこそ自分自身があるので常に感謝の気持ちや、相手を思いやる心を持つように心がけています。 …

「カンボジアから世界で活躍する企業へ」青木氏 (SpaciaNet Co.,Ltd.) 今回、日本でも多く利用者がいるAirbnbのオフィシャルパートナーとしてオンラインコミュニケーションサービス AirXpressやレンタルオフィス、イベントスペースの貸し出しなどを行っているSpaciaNetCo.,Ltd.の共同創設者である青木渉氏にインタビューをさせて頂きました。 貴社の業務内容について教えてください。 AirXpressは、2015年にカンボジア人パートナーであるワコラと創業しました。サービス内容は、日本の宿泊施設向けのオンラインコミュニケーション代行(メール、チャット、電話など)をしております。Airbnb(※以下エアビー)などで宿泊施設向けにこのサービスを展開しており、言語は英語、日本語、中国語、韓国語、クメール語と幅広く対応しており各言語が話せるスタッフがいます。 また、プノンペンのダイアモンドアイランドにあるオフィスビル内でSpaciaNetブランドとしてスペースレンタル事業を展開しています。現在、プノンペン市内は、大きな建物の建設ラッシュにより空き部屋も増えてきているため、様々なオフィスビル空間の有効活用をするための取り組みを行なっております。 日本での社会人生活から海外での起業へ カンボジアに来て起業するまでの経緯について教えてください。 製薬会社で6年半、薬局で1年働いた後に、カンボジアへ移住しました。日本で働いていた頃、よく海外旅行しており、当時から海外で起業したいと考えていました。カンボジアを選んだきっかけは、世界一周旅行から帰ってきた友人に「カンボジアが面白い」と聞いた事です。カンボジアにはそれまで一度も行った事がなかったのですが、個人的に東南アジアが好きだった事もあり、すぐに視察へ行きました(2013年2月)。今では日系企業の進出が増加し街も便利になってきていますが、8年前の当時は、イオンもなく日本食レストランなども数軒しかありませんでした。 しかし、人々にエネルギーがある国だと感じ、住んだら面白い事ができるのではないかと思い同年10月にカンボジアに移住しました。当時のカンボジアは、一人でも個人として何でもできそうな環境だったんです。カンボジアで医療関係のN G Oで活動をした後、ワコラとの出会いをきっかけに2015年6月に創業しました。 カンボジアに来てからの苦労や事業を立ち上げる上で大変だったことは何ですか? 一つ目は、カンボジアに移住した当初はカンボジア国内の市場向けにサービスを提供するビジネスをいくつか行いましたが、どれも上手くいきませんでした。 カンボジアの国内市場でサービスを提供するには、飲食業も物販も仕入れ価格が高いのに、販売価格を高くできず、利益を出しにくい。高くすると売れないというジレンマが生じ、しっかりと利益を確保するビジネスを組み立てる事ができませんでした。 自分が考えていた以上にカンボジア国内でのビジネスは難しかったんです。簡単にビジネスを始める事ができる割に、やってみたら予想とは全然違ったというのがカンボジアビジネスではないでしょうか。現在の主力ビジネスであるAirXpressはカンボジア国内にいる優秀な人材を生かして、日本国内の市場向けにオンラインでサービスを提供しているので、そのジレンマが発生する事なくしっかりとした仕組みを作る事ができています。 2つ目は、組織の仕組み作りです。コロナの感染が拡大する前までは、AirXpressとして日本国内の2000部屋以上の宿泊施設と契約していました。70人以上の従業員がいる環境で、価値観や育った背景も様々な多国籍メンバーがいる組織を、どのようにまとめていくのかが大きな課題となっていました。ただコロナ前は時間もなく、課題を解決するためにしっかりと向き合う事もできていませんでした。しかし良くも悪くも今回のコロナの感染拡大により観光客が減った事で、組織としてのあり方を見直す期間にもなり、より強固な組織として、良いサービスをする体制を整える事ができたと思います。 現在の会社でのやりがいや達成感を感じられた出来事について教えてください。 会社を立ち上げてから大きな達成感を得られた出来事は、エアビーの公式パートナーになれた事です。2017年頃からコンタクトを取り続けていましたが、既に日本の別の競合会社との契約をしてしまっていたため、パートナー契約を結ぶのを断られ続けました。日本に帰る度にAirbnb …

「ご飯でカンボジアに笑顔と健康を」楠川氏 (Riceball Phnom Penh) 今回、カンボジアでおにぎり専門店を営み、製造から販売まで自社で手掛けている楠川歩氏にインタビューをさせて頂きました。 貴社の業務内容について教えてください。 僕達は、「RiceBall Phnom Penh」というおにぎり専門店をやっていまして、店舗以外に、製造、コンビニエンスストアやカフェなどへの卸業、デリバリーも手掛けております。おにぎりには、カンボジアのジャスミン米(バッタンバンの長粒米)、ベトナムで生産された日本米、北海道産の「ななつぼし」というお米を使用しています。中でもカンボジアのジャスミン米は、国内で販売されている中でも質の良いもので、お米にもこだわったおにぎりを作り販売しています。 商品について教えてください。 おにぎりと言っても種類が豊富で、日本で見られる普通のおにぎりから手巻き寿司風のおにぎり、おにぎらずなどもあり、カンボジアのコンビニエンスストアやカフェへ提供しています。北海道産のお米は、15度以下で輸送し、お米を炊く直前に精米してご飯を炊いています。主なお客さんは、現地の日本人駐在員、外国人駐在員、カンボジア人がそれぞれ1/3くらいです。カンボジアの方々もアニメなどから日本を代表する食べ物であるおにぎりの認知度も高まってきており、多くのカンボジアの方々にもおにぎりを買って頂いております。また、カンボジアは、一人当たりのコメの年間消費が世界2位で、お米の質も世界的に高品質であると称されています。 カンボジアで起業するに至った経緯について教えてください。 大学卒業後、商社、情報通信機器を製造する会社などを経験してからカンボジアに来ました。前職時代から海外に行く事が頻繁にあり、中国や北欧のライフスタイルが全く違うと感じる事が多かったんです。そういった経験から「今のままの自分で本当に大丈夫なのか?」と思うようになり、海外に住みたいという気持ちが芽生えていきました。 カンボジアは発展しきっているわけではないですが、急速に発展してきており、多岐にわたる産業の成長、環境問題への取り組みなども進んでいる事から「この国が面白いのではないか?」と思い、年齢的にも家庭的にも(子供が小さい時に)行動するなら今しかないと思い移住を決断しました。カンボジアに移住するというのはリスクもありますが、それらも含めて面白いのでは?と思ったんです。 自分の中では、このまま日本でしか生活をしないという事を選んだら後悔すると思いました。 また、おにぎり屋を始めた経緯は、条件的にもおにぎり屋さんは良いのではないか?と考えていました。なぜなら、カンボジアは世界第2位のコメ消費国で、食文化も日本と似ており、おにぎりなら需要があるのではと考えていました。 日本だとコンビニエンスストア等で販売されているおにぎりは機械で作られていますが、人の手でにぎった「おにぎり」を、商品として売りたいという思い、とにかくやってみようの精神で始めたのがきっかけでした。 一番大変だった経験や事業をする上で工夫した点は何ですか? 飲食業の経験はありましたが料理人ではないので、大変というか、メニュー開発やオペレーションのマニュアル化は工夫をしました。材料をどう仕入れるのか?どの層をターゲットに商品を作り、売るのか?など工夫する点は、様々にありました。 またカンボジアという異国で、おにぎりを知らない従業員に対して、誰にでも理解でき、品質管理が行われるよう、友人の料理人と共同で調理の手順を工程ごとにマニュアルに落とし込みました。作業を細分化し、言語化、数値化できるようにすることは、一番工夫が必要で、労力を使う部分でもありました。 働く上で大切にしている事を教えてください。 …

『カンボジア医療の向上を目指して!』神白先生 (ジャパンハートこども医療センター) 現在、特定非営利活動法人ジャパンハートで、カンボジア医療・保健活動の責任者であり、ジャパンハートこども医療センターの総合診療医として臨床業務に携わっている神白(こうじろ)先生にインタビューをさせて頂きしました。 業務内容について教えてください。 NPO法人ジャパンハートのカンボジア医療・保健活動の責任者であり、カンボジアのジャパンハートこども医療センターで総合診療医として臨床業務に携わっています。現地のカンボジア人医師や常駐している日本人医師のコンサルトや、指導などを主に行っています。また、病院運営、マネジメント、他の医療機関、政府との共同業務なども行っています。 *総合診療医とは、簡単に言うと何でも屋で、どんな診療もする医師を指します。例えば、病院では小児科、外科、内科というように分かれていますが、総合診療医は、これらの分野を問わず診療します。 〜国際協力するなら手に職を〜 国際協力や途上国での医療を志したきっかけは何でしたか? 海外で働きたいと意識し始めた明確なきっかけはないのですが、小さい頃から海外で働いている人たちを見ていました。知り合いに海外で支援活動をしている人もおり、そういった人達を見ている中で、「海外に行きたい」、「人の役に立ちたい」と自然と意識するようになっていました。高校の先生に言われた『国際協力をするなら手に職をつけないとダメだよ』という言葉によって考えさせられ、思いついたのが、医療だったんです。その時から将来は、医師になり国際協力をしようと決めました。 学生時代は、どのような活動に力を入れていましたか? 大学時代は、バドミントンに熱中しており、バドミントン漬けの毎日を送っていましたが、頭の何処かには国際協力に携わりたいという思いがありました。サークル活動の一環でフィリピンの大学生と交流し地域医療を見学したり、タイで水道パイプを作り繋ぐような、現地の水へのアクセスを改善するワーキングキャンプに参加したり、ミャンマーの地域を訪問するワーキングキャンプの際にヘルスセンターを見学させてもらったりするなどの経験をし、途上国での医療を目の当たりにしました。常に行けるところには行こうというような心持ちで参加し始めたのがきっかけでした。 途上国での医療と先進国での医療の大きな違いはどんなところですか? 大きな違いは、地域によって医療レベルが大きく違うことが挙げられると思います。例えば、日本では地方の田舎でも、ある程度の水準を満たしている医療を受けることができると思います。しかし、カンボジアでは、首都のプノンペンで受けられる治療と地方で受けることができる治療には大きな差があるというのが現状です。これは、途上国、貧困な国になればなるほど大きいですね。 このような医療の格差ができてしまう要因として教育なども大きく関わってくると思いますが、カンボジアの大学の教育体制はどのような仕組みになっているのですか? 最近になって教育の仕組みというのも確立されてきていますが、まだまだ整っていない状況です。1970年代のポルポト政権時代に教育システムも壊されてしまっているのでそれを一から作り直し、ようやく大学までの教育体制を整えたところだと思います。日本であれば大学在学中や卒業後に研修を受ける環境が整っていますが、カンボジアでは、医師は8年、看護師は3〜4年の大学の間はかろうじて教育や研修がありますが、卒後教育のシステムは、専門医コースのごく少数の医師のみがフランスに留学する他はほとんどありません。 〜ひとりの医師として出来ることを〜 カンボジアで働く中での困難はどんなことがありましたか? 特に大変だった事が2つあります。1つ目は、2018年に開院したジャパンハートこども医療センターの設立です。このこども医療センター設立の際は、人手も足らず、今までの業務と並行して開院に向けての準備をしていたので、人数不足の中でマネジメントするのが一番大変でした。しかし、現地のスタッフを含め、多くの人々に協力してもらい開院することができたのは得難い経験となりました。2つ目は、懸命な治療、入念な準備をして手術を行ったにもかかわらず命を救うことができなかった時です。医療現場で働いている以上このような事は避けられませんが、精神的に様々な葛藤は多々あります。 大事にしている考え方、価値観などありますか? 言葉にするのは難しいのですが、人に優劣などはなく、一人一人が大切な役割を全うしているのだという意識を常に持っています。例えば、途上国だと「医者は、病気を治療できるから偉い」などと医者と患者さんの間に上下関係があると考えている方が多いです(日本にも昔あったと思いますが)。しかし私たちは、たまたま条件が揃ってカンボジアで医療に携わらせてもらっています。そのため、常に一人一人がそれぞれの組織、分野で大切な役割を担っているという意識を持ち感謝することを私は大切にしています。医者という役割をしているからといって、偉い、尊いわけではありません。 〜カンボジアの医療レベル向上に向けて〜 …

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