カンボジアの歴史

現在のカンボジアに当たる地域に、いつ頃から人が定住し始めたか定かではありません。最初の国は扶南(ふなん)と呼ばれ、1世紀頃からカンボジア南部のメコンデルタ一帯を治めたとされています。5~6世紀になると、クメール人が勢力を拡大しつつ南下し、真臘(しんろう)を建国。
版図を広げ過ぎたために一時は分裂したものの、ジャヤヴァルマン2世によって再統一され、アンコール朝が802年に誕生しました。王朝は600年以上続き、この間にアンコールワットやバイヨンなどの寺院や都城が数多く建築されました。

アンコール王朝は12世紀に最盛期を迎えましたが、たび重なる大規模寺院の建設や遠征によって、しだいに衰退していきました。15世紀にはタイのアユタヤ朝に攻められ、王都アンコールを放棄。その後は領地を巡り、タイとベトナムと戦争を繰り返すようになりました。その後、国家滅亡の危機に瀕するまで国力は低下しましたが、他国の隷属状態になることで、一時的な平和を迎えることができました。

フランス植民時代から独立へ

1863年になると、カンボジア王国はフランスの支配下に入ることなりましたが、およそ90年後の1953年に、独立を達成しました。中国やフランスとの関係を保ちつつも、非同盟中立国として外交政策を進めましたが、1960年代の経済政策失敗により、情勢は次第に不安定になりました。そして1970年、ロン・ノル将軍がクーデターを起こし、ベトナム戦争をカンボジア領内に招くことになってしまいました。

ベトナム戦争の戦火拡大とともに、カンボジア人同士による内戦も激化しました。経済は衰退し、国民は疲弊。カンボジアの国力は衰退の一途をたどりました。1975年に内戦は終結したものの、共産党勢力のポル・ポト派が政権を握り、カンボジアはさらなる混沌を迎えることになりました。

冷戦終了~新生カンボジア王国の誕生

ポル・ポト政権により、これまでの社会システムは大きく破壊され、大量の市民が虐殺されました。また、ベトナムとの対立も激しさを増した上に、東西対立にも巻き込まれ、再び内戦状態に陥りました。さまざまな和平交渉が行われましたが、平和への道筋はなかなか見えてきませんでした。ところが、冷戦が終了すると、カンボジアを取り巻く環境が激変。1991年にはカンボジア最高国民評議会が設置され、カンボジア新政府樹立の準備が着々と進められました。

1993年に総選挙が行われ、シアヌーク国王を国家元首とするカンボジア王国が誕生しました。安定した政局を維持するかと思われましたが、クーデターや暗殺未遂などの事件が相次ぎ、政局はまたも混乱。1997年には対立勢力同士が軍隊を率いて、プノンペン中心部で武力衝突を起こしました。これに衝撃を受けた国際社会は、再びカンボジア政府に干渉するようになりました。

人民党の勝利~安定成長期へ

1998年の総選挙で、フン・センを首相に据えた新政権が立ち上がると同時に、ポル・ポトが死亡し、率いてたいたクメール・ルージュが解体されました。不安要素だった共産主義勢力が力をなくしたことにより、政権も安定した雰囲気を見せるようになりました。2003年の第3回総選挙、2008年の第4回総選挙でも人民党が勝利し、連立政権という政治体制ながらも、1党独裁的な様相を示すようになりました。ともあれ、これまでになく安定した政治情勢の下、カンボジアは高い経済成長を維持し、国際的な地位も少しずつ上昇していきました。

プノンペンなどの都市部の変化は著しく、国際色も豊かになってきました。人権問題や貧富の差など、解決すべき問題はまだ山積しています。グローバル化の影響もあり、今後も大きな変革が求められるカンボジアですが、幾多の困難を乗り越えてきた国民は、自国の伝統と文化を保ちつつ、力強く変化の波を乗り越えていくでしょう。